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渋さ知らズのヨーロッパ・ツアーが近づいてきました。
北さんは、衣類など現地調達型で、こっちからは必要最小限、コンパクトな荷物で行くつもりです。
今回はノート・パソコンも置いていくとか。(前回は持参したが1回も使わなかったので荷物になった)。
そして、帰りには必ず中古の楽器を手に入れてきます。
本当にいいものは、目に見えない。
音の中に心が入っている。

どうぞ、たくさんのいいものが交換されますよう。

おみやげは、きっとみんな心の中ね。
(右:巣鴨と大塚の間の穴場モンゴル・レストラン「シリンゴル」の割り箸の袋。毎晩8時から馬頭琴のライヴがあります)。

5月1日 吉祥寺マンダラ2 渋さ知らズ劇場

20名以上、と演奏者多数。ヨーロッパを意識した演奏となりました。
終わってから女性ファンに握手を求められました。(ありがとうございます)! でも、「手が冷た〜い!」って。Yeah,「Be Cool」(笑)!
冷房が効いて寒かったとか。プレイヤーの皆さん、気をつけて。

5月3日 丹沢へ

お母さんに言われていたので、北さんの実家(湘南の方)に荷物の片付けに行く。
その前におにぎり持って丹沢登山。帰路、険しい崖を下りて、遭難しかける。土はモロくてすべるは、石は転がり落ちていくはで、おまけに北さんまで沢にズリ落ちる。
強行断念し、獣のように来た道を這い上る。ふぅ! 1時間半の死闘の結果、無事元の場所に出ました。

5月4日 片付け 市川りぶる 渋さチビズ

まだ言葉も話さない1歳半の北さんが歌ったという「ちゅーりっぷ」。ちゃんと歌詞とメロディーを耳で音としてとらえて、コピーしていたんですね。  
いつも外に遊びに行き、ちっとも家にいず、机はカバン置き場だったという小・中学生時代。ある日珍しく机に向かって勉強しているな、と思ってお母さんがのぞきに行ったら、一生懸命見ていたのは「楽譜」だったとか。
その部屋の入り口には、北さん自作の「吹奏楽部」と書いたプラスチックのプレートが。
おもちゃから絵本、幼稚園のお絵かきの作品・小学生時代の教科書・文集から、中学生のとき女のこたちからもらった手紙まで、全く物持ちがいい!要るものと処分するものとに分ける。
旧式のテープ・デッキやカメラもちゃんとマニュアル付きでとってあり。鉄道模型やラジコン飛行機も。(いずれもお父さんのもの)。お宝発見?
まだ使えそうなトランペット2本と、楽譜と、テープどっさりと、本数冊をリュックに詰め込んで、一路りぶるへ。(版画は中学1年のときの作品。まるでテント芝居?)。


20年寝かしてあったヒュッテル(独製。戦車のようにベルが厚手で頑丈。)を引っさげて登場。これまた20年ぶりのマウスピースのおかげか?いつもより高音分が鋭かったような。
泉さんも加わり、渋さ知らズとはひと味違って、またタイト!

5月5日

夜、ハワイ移住寸前の丸山涼子さん(元渋さkey.)にGアンプを返してもらう。

5月6日 新宿スタジオ・ウルガ 渋さ知らズ

新しくできたウルガは職安通り沿い、am・pmの地下。ハローワークの近くです。代々木にあったチョコレート・シティーに似ている?ヒッピーふうのおじいさんがやっています。 PAの人がジャズに慣れていないけど、オープニングということでビールなど出て、気前がよかった。
サックスの音がよく通らなかったが、トランペットの高音部がよく響くので、ソロが多くなった。
終了後、渋さのミーティング。

5月7日 高円寺のバー

友人Tさんの友だちの店。偶然早稲田のダンモ(モダンジャズ研究会)の2年下の後輩に会う。聞けば古澤良治郎さんにdsを習い、泉さんと同期だったそう。早速インプロに誘ったら、来ると言っていた。

コラム  ♪〔三上の考え〕♪

「三上の教え」、それは馬上・厠上・枕上ではよくアイディアが浮かんでくる、という故事成語。日常の雑事から離れて、リラックスしやすい状態だからでしょうか?
北さんも、アイディアが浮かんでくるのは「電車で移動中」「入浴中」「寝る前」が多いようです。よく「あっ、そうだ!」から始まって、次から次と、発想がわいてくることがあります。一つ決まると、ほかの話へも飛び火します。
(さらに、野々は歩いて移動中もそうなので、お互い別々のことを思いつき、どちらも思いつくまま話すので、2種類の会話が同時進行することもよくあります。でもやりたい方向性が一致していることがほとんどなので、別々のことを話していてもちゃんとシンクロしてきて、結果的にお互いの思いつきがさらに発展していく、という相乗効果を生むことになります)。
くつろいだ状態に入ると、脳波がベータ波からアルファー波、さらに潜在意識のきれいな人はシータ波優位の状態に入るのでしょう。
そこで、データ(情報)が、潜在意識のさらに奥の方から潜在意識に下りてきて、さらにそれがハッキリと、ちょうどピントが合ってきたような感じでイメージや言語となって、この表層意識の世界に下りてくる。
言い換えれば、光→音→熱の世界。言い換えると、「微細な世界」→「ヴァイブレーション、イメージの世界」→「粗雑な、物質的な世界」。(逆にたどることも可。詳しくは野々まで)。
これは物理。化学反応。錬金術はお好き?
……という訳で、のんびりする時間も大切ですね!
(さらに、近くにいる人とはデータ交換が起きやすい)。

5月9日 新宿ロフト 冴島奈緒「SMist」ライヴ

ストーカー、暇?(野々HPへ)

北さんの旧友NAOちゃんのライヴ。イロものはケーベツの野々も、NAOちゃん本人を見て判断しなくては失礼だと思い。本人はホントはしっとりした面を出したいらしいけどね。北さんともども、昨年末家で鉄板焼とシーフード・スパゲッティーをつくって食べて以来の再会。その後「サントワマミー」を写譜して野々のキーボードで軽く稽古して渋さのライヴに備えた。そしてBUDDYで本番。その時は、プロ意識の強さと経験からの、いい意味での「プライド」を見せられた。
今夜は野々も、昨年メールで知り合ったフリーのロック雑誌編集者AKと再会の予定。昨年「WAWONA」という女性シンガーばかりを集めた本をアミューズから出した人。NAOちゃんと会わせようと思って誘ったのだ。が、来られず。

ライヴは、疲れが見えるのと、自分のよさを出し切れていないような感じがした。あの美貌とシャウトを生かすためには、もっとスローな曲と、MCよりも日本語のメッセージ性のある曲で押していってほしかった。ダンスや演技の経験も生かせるのに。どう?
この間友人Mくんは、「クラブでたまたま観た。日本語英語だからなあ!MCで叫んだ『生きザマが違うんだよ!』の方がよっぽどインパクトあった。日本語で歌えばいいのに。」と言っていた。
POPでハードな女のこバンドとかね。古いけど、「ハート」とか「ケイト・ブッシュ」とか。もっといろいろできるはずなのに、「もったいない!」とず〜っと思って観てた。
でも、本当にバンドのメンバー集めだけでもたいへんなんだろうな。
最後の2曲、特にラストの「HOME」はカッコよかった。あの1曲だけで十分だった。
AV時代の映像や、女優の時のVTRも観たことあるけど、やっぱりシンガーが一番合っているんじゃないかな?シンガーを「演じている」って感じがした。(本人もいろいろやってきて、女優が一番合っていると思っているそう)。
ま、NAOちゃんはNAOちゃんだ、頑張って、質を高めていって下さい!
    ♪      ♪      ♪      ♪ 
さて、寒冷地獄の猫かぶり姫・ストーカーの、またまたしつっこいFAX。FAXしてくる人は他にはほとんどいないから、即わかる。相変わらず煮え切らない人。
「イタチの最後っ屁」ってこのまっシロFAXのこと? 臭くてたまらない。
「お元気ですか。」ぐらい書いてあったらカワイイのにね。「S・フレンド」ならほかを当たってね(笑)!
頭の中までまっシロFAX、もちろん29日の20000Vで使うね!(あの1回を観ただけで野々の踊りを判断されては困るなあ)。

コラム  ♪[客観音楽についての考察 vol.1]

――客観音楽とは?――

(北、中学2年のときの作品)

「主観音楽」

自分自身の音楽だと錯覚してやっている音楽のこと。
自己満足。思い込み。マスターベーション。自己完結。自閉的。芸術家気取り。自意識過剰。自己陶酔。エゴが強い。

「客観音楽」

そもそも音楽は(芸術は)自分のためではない、みんなのものである。
ただ潜在意識の中で聞いているものを、現象界に下ろしてきて、鳴らしているスピーカーに過ぎない。
人類の叡智として残していかなくてはならないのは、皆が幸福(欲がないこと)に向かう音楽でなければならない。
モーツァルトも、日野さんも、客観音楽も意識している。
「奇蹟を求めて――グルジェフの神秘宇宙論」(P.D.ウスペンスキー著 平河出版社刊)
P.52より抜粋……

「地上の人々は、姿かたちは全く同じでも、ひじょうに違ったレベルに属しうる……(中略)……。
私は、君が芸術と呼ぶもの全てを芸術とは呼ばない。君が芸術と呼んでいるおのは、単なる機械的な再製品か、自然あるいは他人の模倣品か、ただの幻想か、それとも独裁的であろうとする試みにすぎない。本当の芸術は全然別のものだ。……
君の言う芸術では、全ては主観的だ。つまり、芸術家が感覚を知覚する方法、その感覚を表現する形式、それを見る人々がその形式を知覚するやり方は全て主観的だ。
……また観客、聴衆、読者は、芸術家の感じたこと伝えたいことをではなく、芸術家が自分の感覚に表現を与えている形式が連想によって彼らの内に呼び起こすものを感じるのだ。全ては主観的かつ偶発的だ。すなわち芸術家の印象や〈創作〉(彼はこの語を強調した)、観客、聴衆、読者の知覚、これらは全て偶然の連想に基づいているのだ。
真の芸術には偶発的なものは何もない。それは数学だ。その中の全ては計算でき、前もって知ることができる。芸術家は自分の伝えたいと思うものを『知り』、しかも『理解して』おり、彼の作品は、鑑賞者を同一レベルの人々と仮定すれば、ある人にはある印象を、別の人には別の印象を与えるということはあり得ない。それは常に、数学的な確かさで同一の印象を生み出すのだ。
同時に、同一の芸術作品は、レベルの違う人々には別々の印象を与えるだろう。しかも低いレベルの人は、高いレベルの人々と同じものを受け取ることは絶対にない。これが本当の『客観的な』芸術なのだ。」


*例1 「渋さ知らズ」――1対多数の場合

渋さ自体は別に客観音楽をめざしているかどうかはわからないが、北自身は、意識としては客観音楽をめざしてやっている。
そして、少なくとも渋さの中心メンバーは、演奏中、潜在意識の中で、相互にコミュニケーションしている。
演奏者
観客側からは……

*例2 「インプロ」――1対1の場合

音楽とダンス、両者とも即興。その場で指名された順に、何の打ち合わせもなく演じる。
音楽どうしではないので、どちらかと言うと「客観芸術」という広義の作品となる。
相手によってコミュニケーションがとれる場合と、とれない場合がある。とれても、継続的にとれるものと、断片的にとれるのがある。 
音楽どうしと違い、共通のターム(言語)がないので、コミュニケーションをとるのが難しい。
演じ手
観客側からは……
     であり

*例3 「望月バンド」――1対少数の場合

渋さの中心メンバーも入っているため、コミュニケーションはとりやすい。
渋さは一つの方向に皆で進んでいく、いわばボールをゴールに入れるという目的のためにチームが団結しているサッカーに似ている。
ところが望月バンドは、お互いにコミュニケーションをとりながらも、ゴールが一つということは決してない。方向は敢えてバラバラである。バラバラに行く、というルールのみが存在する。
演奏者
観客側からは……
    であり

*例4 ソロとDUO

まさに客観音楽を追究している。
(トランペットのソロと、コンピュータ音楽のソロとでは、また指向が違っている。これについてはまた)。

5月13日 望月くんの友人Yくん結婚式ライヴでトリ。即興。

5月14日 永福町 ジャンフラのリハ

北「今まで3年間、ジャンベで全員がソロをやるようなことはなかったが、初めて全員でソロを回すことをやってみて、一人一人の個性が出ておもしろかった」。
五七調のトーキング・ジャンベ、文学部出身の泉さんならでは。(思わず出てきた蝉丸の「これやこの……」、野々も大好き。蝉丸は百人一首のボーズの中で一番こきたないじじいで、ちっこくて、ほかの金満悪徳っぽいボーズと違うじゃない?)
新曲もこれまた怪獣が出てくるときの音楽みたいで、いいね。
夏のツアーも京都・名古屋まで行きますよ!お楽しみに!!

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