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EURO2005
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5月1日 ポスキャーボへ移動朝5時にケルン空港到着、チェックインへ。手荷物が8キロまでだったので、みんなクリアーするのに一生懸命だった。 ちなみに私の荷物は、手荷物の楽器7キロ、預け荷物10キロだった。 とても軽量だ。 1時間ほどのフライトで、チューリッヒへ。
チューリッヒで、昼食。 マクドナルドでセットをテイクアウトして、ホームで食べる。 久しぶりのジャンクフードだ。
チューリッヒからは列車移動。 空港から中央駅までシャトルトレイン。 中央駅からクールまで1時間、乗り換えてポスキャーボまで4時間ほど列車に乗った。 ロシアとは異なり、きれいな湖、雪山など景色がすばらしかった。 たくさんの写真を撮った。
特にポスキャーボに着く1時間は、登山電車ですばらしい景色だった。
ポスキャーボに着いて、宿泊所へ。 宿泊所は、川沿いの別荘のような建物で、避暑地へ合宿に来たようだ。
11人は、修道院へ。 修道院は、禁煙の上、騒ぐことができないので、宿泊所を変わってほしいとの3人ぐらいに言われた。 私は、タバコを吸わないし、騒がないので、どちらでも良かったので、片山さんと交換することにした。 夜は、サン・ラのメンバーたちとイタリアンレストランで食事。 蕎麦のパスタ、赤ワインが美味しかった。 睡眠不足の上、ワインをたくさん飲んだので、宿泊所に戻るとすぐに寝てしまった。 5月2日 ポスキャーボ・オフ
朝、起きるととても気持ちがいい。 空気も水も美味しい。 ここに10日ほど滞在することになるが、移動もなくゆっくりできそうだ。 片山さんとチェンジして修道院へ移動することもなくなった。 一回、落ち着くと移動するのがめんどうになるからか。
今日は、1日オフだ。 イタリアまで行こうと思ったが、1日ぐらいゆっくりしたい気持ちにもなった。
朝食と昼食は、自炊だ。 朝食は、アベタさんが中心になって作ってくれた。 昼食は、田中さんだ。 トマトソースとホワイトソースのパスタ。 このツアーの中で一番美味しい食事だった。 やはり日本人が作る料理があっている。 昼過ぎ、町を散歩。 小さな町だ。 教会を中心に町がある。 夕方、11人が宿泊している修道院を訪問。 入り口がわからなかったが、ちょうどウォルティが出てきたので、入り口を教えてもらった。 中に入ると石造りでとても清潔。 2階に上がると、高岡君とハン君の部屋の戸が開いていたので、そこに入る。 高岡君が片山さんの部屋に行こうというので、ついていく。 結局、片山さんの部屋に長くいる。 片山さんの音楽をたくさん聴く。 一緒に夕食を食べに町へ。 教会の前のレストランで夕食。 みんなで取り分けてイタリアンを食べる。 バイツェンビアーを飲む。 眠くなった。 夜、ミーティングの後、すぐに寝てしまった。 まだ疲れが取れていないようだ。 5月3日 ポスキャーボ・ワークショップ
今日は、7歳から15歳までの子供たちのワークショップ。 60人ぐらいの子供たちの中、渋さの演奏がスタートした。 最初は、静かに聴いていた子供たちも、演奏が盛り上がると立ち上がり、一緒に踊りだした。 最後は、大盛り上がりで終了。 子供たちのピュアさが印象的だった。 夕食は、ウサギを食べた。 5月4日 ポスキャーボ・ワークショップ
今日も子供たちのワークショップ。 昨日のワークショップが好評だったせいか、たくさんの子供たちが来てくれた。 今日は、身体運動、ペインティングが中心。 音楽は伴奏に回った。 私もペインティングに参加した。 夜は、パーティ。 サン・ラを含めて一同で食事、ワインをたくさん飲んだ。 明日はオフなので、宿泊所に帰ってからも、呑みは止まらず、結局、3時過ぎまで呑んでいた。 5月5日 ティラノ観光、フェス鑑賞
朝、8時におきてイタリアまで行こうとするが、昨日呑みすぎて気持ちが悪く、9時過ぎに宿泊所を出る。 9時半過ぎの電車に乗って、イタリアの国境の町「ティラノ」へ。 レストランでマルゲリータピザとビールを。 国が違うので、若干安め。 近くを散歩して、昼過ぎにポスキャーヴォに戻る。
3時から、広場でサン・ラの演奏。 ホルンの人とバリトンチューバの人がいた。 日差しが強く、日焼けをした。 今日の夕食は、ラム。 5月6日 ポスキャーボ・コンサート
今日は、3時から広場でコンサート。 広場の周りは、カフェがあり、お茶をしながら、コンサートを見ることができる。 マイケルなどのサン・ラのメンバーも見に来てくれる。 演奏は、久しぶりなので、ハイノートをビュンビュン吹いてしまう。 ソロもハイノートビュンビュン。 終わって、スイスのキーボードの人が声をかけてくれて、一緒に食事をする。 彼は、コンピュータミュージックもするとのことで、NJのCDを渡す約束をする。 5月7日 ポスキャーボ・コンサート3時から、スイスのバンドのコンサート。昨日約束したCDを渡す。 リハでは、フェラクティの音楽を演奏していたが、本番は、フリー。 3時半のピックアップバスに乗って、湖畔のテント会場へ。 今日は、ここで、コンサート。 結構、寒い。 コンサートは、静かめな音楽になる。 終わって、寒いので、早めに帰宅。 しかし、鍵がなく入り口が入れず、窓から入る。 結局、このイベントがあったので、寝たのは3時ごろになる。 5月8日 ポスキャーボ観光
今日は、オフ。 私は、倉持君と山に行くことにした。 登山電車でゴンドラのある駅に行った。 ゴンドラに乗ろうとするが、休業。 仕方がないので、反対側の雪の少ない山に登った。 登山電車の駅の標高が2千メートルぐらいだから、すでに空気が薄い。 旅で疲れていることもあって、少し歩くと息が切れる。 また山の斜面も急で、歩きにくい。
なんとか目指した岩のところまでたどり着いた。
トランペットを吹いてみた。
手がかじかむほど寒いので、唇がコントロールできないし、空気が薄いので、思うようにふけない。 でも、しばらく吹いていると、それなりに音が出るようになった。
しかし、寒いので、しばらくして下山した。 途中、持ってきた録音機で、水の音をとったりもした。
隣の駅まで歩いて、時間を見ると2時間電車が来ない。 仕方がないので、駅のベンチで倉持君と話をしながら電車を待った。 いったん宿泊所に帰って、荷物を置いて、ファイナルパーティの会場に向かうため駅に行った。 電車で2駅で、昨日の湖畔の会場の近くのレストランに到着。 サン・ラなどのメンバーと一緒だ。 ワインやビールを飲みながら、楽しく話などをした。
帰りは、4人ぐらいで歩いて帰ってきた。 途中、いろいろな景色があり、またみんなで歌などを歌い、とても楽しかった。 1時間ぐらい歩いて、ようやく修道院に到着。 修道院の豪華なキッチンで飲み、夜中に宿泊所に戻った。 今日は、たくさん歩いた一日だった。 5月9日 ニュールンベルグへ移動今日は、移動日だ。ポスキャーボの駅から、登山電車で、クールまで。 クールからバスで、ドイツのニュールンベルグまで行った。 クールの駅で、昼食。 サラダサンドとピーチティーを買って、8フランだ。 高い。 ポスキャーボであまり金を使わなくて良かった。
夕方、ニュールンベルグの宿泊所に到着。 サーカーチームの合宿所のようなところで、日本人の感覚では別荘のようだ。 サッカーボールがあったので、サッカーをして遊んだ。 あまりに面白かったので、ついメガネをしていることを忘れて、ヘディングをしてしまった。 すると、メガネが落ちて、自分の足で踏んで、折れてしまった。 幸いのことにレンズは割れず、枝のところが折れてしまった。 前にも同様のことがあり、瞬間接着剤で直ったので、今回もどこかで直そうと思った。 とりあえず、白いテープを巻いて、使用することにした。
5月10日 ニュールンベルグ観光
今日は、オフ。 小森さんたちとニュールンベルグの町に出る。 町で、ヴァイツェンビールを飲みながら、ゆっくりした。
城にも行った。 そこでも、ビールを飲んで、ゆっくりした。 帰ると、すでに宴会が始まっていた。 ガチョウの丸焼きを食べた。 5月11日 メールスへ移動
今日は、メールスまで移動してコンサート。 私は、今日は不参加。 渋さをはじめて見ることができた。 エネルギーの放出量が多いバンドだと思った。 5月12日 メールス・クラブルーレ・コンサート今日は、昼間はオフ。ポーランドのオーガナイザにCDを郵送するため、町に出て郵便局に行った。 封筒を探しているときに、瞬間接着剤が4つで1.5ユーロだったので、購入し、ホテルでメガネを直した。 無事、メガネが直った。 夜は、ルーレでライヴ。 狭いので、いろいろ入り乱れてのライヴ。 最初、1階で渋さ。 途中で、2階に行き、フルがダンス、青健がフルのジャケットにペインティングのパフォーマンスに、ピッコロ・トランペットで音をつけた。 久しぶりのピッコロソロ。 いろいろな可能性を感じた。 今度、ピッコロのソロCDを出したいと思った。
5月13日 メールス・クラブルーレ・セッション
今日は、メールスジャズフェスの初日。 昼間、近くのスーパーに買い物。 テントと寝袋をゲット。 テントが26ユーロ、寝袋が13ユーロ。 安い! その後、パスを作りに会場へ。 パスを作って、ライヴ開始まで時間があったので、磯部君と中華料理を食べに行った。 98年の時に、食べに行った店に久しぶりに行ってみた。 前に食べたとき、とても美味しい印象があったのだ。 焼きそばとチャーハンを注文して、食べた。 思ったとおり、美味しかった。 会場に戻り、ライヴを見る。 夜11時からルーレでセッション。 渋さのメンバーのみのセッション。 鬼頭君が日ごろ見せない演奏をして、面白かった。 帰ろうとしたとき、USAのバンドのメンバーが到着。 残念ながら、セッション終了後だった。
5月14日 メールス・ブラックテント・コンサート今日は、メイン会場の隣のブラックテントでのコンサート。ブラックテントとは、完全暗転にしてのコンサートで、視覚障害者の体験で音楽を聴く試み。 私のグループは、チューバの高岡君とギターの斉藤社長、舞踏の千枝の4人でのパフォーマンス。 私は、ピッコロトランペットを吹いた。 弱音系の音楽で、あまりこのようなコンサートを普段しないので、とても楽しかった。 ピッコロトランペットのソロCDには、ぜひこのような弱音の即興演奏を入れたい。 5月15日 メールス・メインテント・コンサート
今日は、メールスジャズフェスティバルのメインテント。 今年で、ブーカルト最後のプロデュースとなるメールス。 気合が入る。 前のバンドが押しに押して、結局開始は、予定時間より1時間以上押した。 正味70分のパフォーマンス。 通常2時間30分ぐらい演奏するから、70分は短い。 今までやってきた渋さのスタイルの凝縮系が70分に出ていた。
演奏後、シャンパンで乾杯。 皆ツアーの最後の演奏、最後の日ということもあり、リラックスして盛り上がった。 とはいえ、10日後にまた第2弾が始まる。
5月16日 GO BACK TOKYO早朝、メールスを後にして、デュッセルドルフ空港にバスで向かう。そこから、モスクワ経由で成田にフライト。 モスクワのトランジットは、最悪だ。 空港の設備が古く、何もないだけでなく、飲み物などの値段も高い。 ビールが一杯10ドルもする。 私は、ベンチにたたずんで、この日記を書いている。 もう、書くことがなくなった。 後の2時間をどう過ごそうか。
5月17日 一時帰国昼頃、成田に到着。行きと同じルートの京成特急で帰宅。 家に帰って、納豆ご飯を食べる。 シャワーを浴び、片付けて、新宿へ。 北澤倶楽部という高級回転寿司屋で夕食。 外国人が多く、ジュッセルドルフの寿司屋で食べている気分。 ビックカメラで、いろいろ物色し、ツアーの前の日に飲みに行った「鳥園」へ。 熱燗、焼き鳥、煮込みなどを注文。 ほろ酔い気分で、帰宅。 5月18日 渋さ@ウルガ帰ってきた翌日にウルガのライヴ。日本には、10日しかいないので、帰国というより、ツアーの続きだ。 ライヴのテンションも上がる。 5月19日 北・坂本DUO@まほうの竜
アコーディオンの坂本さんとのDUO。 シャンソンを中心にニーノロータの映画音楽を演奏する。 たくさんの人が見に来てくださった。 何回も私のライヴを何回も見に来ていただいているお客さんから、「今まで見たライヴの中で一番良かった」といってくださった。 ほとんどアドリブをしないで、メロディを吹いているだけの演奏だったが、吹いている自分も感動する演奏だった。 果たして、曲が良かったからか、歌うのが上手かったからか?
5月21日 渋さ@昭和記念公園野外ステージ。第1弾のツアーで持っていったマルカートのポケットトランペットだけで臨んだ。 音の伸びもよく、いい演奏になった。 バンドものびのびとしていて、いい演奏だった。 5月22日 北陽一郎カルテット@エアジンベースに岩崎君を入れてのカルテット。急遽、エアジンに頼んで、入れてもらったのだ。 岩崎君が緊張しているのが良く分かった。 コミュニケーションは取れていたほうだと思う。 5月24日 渋さ@Gクレフ今日は、第2弾ツアー前、最後の渋さライヴ。いい感じで吹けた。 5月27日 第2弾出発もう、第2弾ツアーの出発になってしまった。CD制作、ライヴ、トランペット教室などで、あっという間の10日間だった。 今度は、9月まで日本に戻らない。 長い旅だ。 いろいろと心配事を抱えつつも出発した。 いつものように成田から出発。 太田さん、東洋、ふる、ちえとモスクワ経由でデュッセルドルフに向かう。 モスクワで、トランジット。 前回、3時間待たされたが、今回は3時間半だった。 空港でウォッカを買い、すでに泥酔。 ホテルでも飲んで、翌日、二日酔い。 5月28日 デュッセルドルフ・コンサート
早朝の便で、デュッセルドルフへ。 飛行機のトイレで吐く。 昼ごろ、会場に着く。 他のメンバーと再会。 サウンドチェックをして、ホテルへ。 しばしの仮眠。 夕方、会場へ。 日本DAYの出演。 会場には焼き鳥屋など日本料理の店も。 演奏は、1時間ほど。 あっという間に終わってしまった。 5月29日 ルツェルン・コンサート6時に出発。スイスのルツェルンへ。 3時ごろ到着。 楽屋で飲み食い。 2時間ほど演奏。 宿は、郊外のスイス軍の宿泊施設。 5月30日 ルツェルン観光
ベッドの上が体育館。 ドタバタの音で目が覚める。 今日は、オフ。 ウォルティの案内で、観光。
4人乗りのゴンドラに乗る。 手作り感があって、なかなかのスリル。
山の上のレストラン。 ビール、ワインを飲み、ソーセージを食べる。
またゴンドラで降りて、船に乗る。 趣がある船。
1時間ほどで、町の中心へ。 町をぶらぶら。
カフェで時間をつぶし、バスへ戻る。 雨が降ってきて、結構ぬれた。 5月31日 リエージュへ移動
今日は、ルツェルンから、リエージュへ移動。 8時間ほどバスに乗る。 着いて、夕食。 宿泊場所が、ライヴハウスのゲストハウス。 空間が悪く、疲れが残る。 |
6月1日 クレアム・ワークショップ
朝、クレアムのワークショップ。 クレアムは、知的障害者が集まる芸術集団。 とてもすばらしい芸術作品を世に送っている集団だ。
午前中は、ダンスのワークショップを受け、午後は、パントマイムとジャグリングのワークショップを受ける。 夜、ジャズのライヴハウスに行く。 演奏をするつもりで行ったが、演奏できなかった。
帰りに辰巳君と倉持君とパブによる。 パブのビールが美味く、雰囲気もよかったので、気分がすっきりする。
6月2日 クレアム・ワークショップ、リハ午前中、クレアムのバンドの演奏を聴き、参加する。曲が変拍子になっており、なかなかあわせるのに苦労する。 しかし、曲は耳に残る。 午後は、7日のコンサートへの準備。
6月3日 バーベキューパーティ
ドイツのメールスの隣町に向けて出発。 ABCケラーというライヴハウスに宿泊。 ベッドは、軍用ベッド。 そして、寝袋。
夜は、オーナーの家でバーベキュー。 食べ過ぎた。 トランペットを演奏することになった。 ソロで、ゴッドファーザ。 バンドで、ラウンドミッドナイト。 歌ものの伴奏。 最後に、カンタロープアイランドを演奏。 腹がこなれた。 6月4日 メールスの隣町でコンサート
昼、町をパレード、ライヴハウスの前の広場で、フリーコンサート。 パレードでウォームアップができて、なかなか調子がよかった。 ラッパは、外が吹きやすい。 夜は、マックの家で、バーベキュー。 2晩続いての飽食。 バーニングマンのDVDが面白かった。 6月5日 ケルンロフト・コンサート夜、ケルンのロフトでコンサート。ロフトは、ケルン放送交響楽団のフルート奏者のハンスがオーナーのライヴハウス。 ここでは、毎回面白い演奏になる。 今回も面白かった。 6月6日 リエージュへ移動、リハ朝、リエージュへ移動。昼から7日に向けてのリハ。 夜、女性陣とパブに行く。 6月7日 クレアム・2コンサート
昼、マッドミュージアムでコンサート。
夜は、クレアムの近くの公園でコンサート。 それにしても、クレアムのメンバーの表現力はすごい。 ピュアーで迷いがないのだ。 夜、辰巳君と磯部君とで前に行ったビールが美味しいパブに行く。 6月8日 リュブリアナへ移動昼過ぎにリュブリアナに向けて、出発。バスで22時間の行程。 6月9日 リュブリアナ観光
朝、8時ごろ、スロベニアの首都、リュブリアナに到着。 予想外に早かった。 11時半まで、市内を観光。 ちえと倉持君とで、マーケット、キャッスルなどを観光。 98年のときに宿泊した郊外のペンションに行き、しばしの休息。
夜、町のセンターまでピザを食べに行く。 ピザを食べすぎで、苦しくなる。 今回は、お腹一杯になることが多い。 飽食ツアーだ。 少し太ったようだ。 6月10日 リュブリアナ・コンサート昼も郷土料理を腹いっぱい食べる。ラーメンのようなスープと豚の角煮のようなメインディッシュ。 夕方、会場入り、サウンドチェックの後、しばらく時間があったので、会場の隣の楽譜屋へ。 トランペットの楽譜がたくさんあったが、輸入楽譜なので、日本と値段が変わらない。 何も買わずに出る。 町を散歩。 カフェでカプチーノを飲む。 ビムハウスのマネージャーにばったり会う。 渋さを見に来たとのこと。
コンサートは、夜の11時から。 押して、結局開始は、12時近く。 1時過ぎに終了。 バスでペンションまで。 結局、寝たのは4時過ぎ。 6月11日 リュブリアナ郊外へ移動今日は、リュブリアナからバスで1時間はなれた山の中の村に行く。夜はビーフシチュー。 ワインを飲んで、9時ごろ寝てしまう。 6月12日 リュブリアナ郊外・コンサート昼、パレード。終わって、昼食、ステーキだ。 食べ過ぎてしまう。 夜、近くの駐車場特設ステージで、演奏。 盛り上がる。
終わって、立食パーティ。 ドライバーのピーターが、得意のアコーディオンを披露してくれる。 ワルツを演奏してくれたので、みんなで踊る。 夜、遅くまで飲む。 6月13日 ウィーンへ移動、国立歌劇場でオペラ鑑賞
朝食は、バスで10分離れたレストランまで行く。 朝から生ハム、サラミが出てくる。 自家製だそうだ。 ウィーンに向けて出発。 18時過ぎに到着。 すぐに磯部君と小森さんとで、国立歌劇場へ。 序曲を聞き逃したが、ほぼ前編見ることができた。 演目は、プッチーニのマノン・レスコ。 指揮は、小澤さんだ。 演出は、現代劇調。 終わって、中華を食べる。 6月14日 ウィーンSZENE・コンサート
午前中、去年、しまっていた楽器屋に行く。 レヒナーのC管の中古か1700ユーロだったが、銀メッキだったので買うのをやめた。 午後、ライヴハウスのSZENEに移動。 何回かライヴをしたことがあるハコだ。 時間があったので、近くのディスカウントショップなどに行き、長袖のシャツを購入。 さっそくライヴで着る。 ライトが強く、暑くて、すぐに脱いでしまう。 汗もたくさんかいて、終わって、すぐに着替える。 エッケが奥さんと見に来てくれた。 2年ぶりの再開。 終わって、内橋さん、エッケ、ウィーン在住の日本人の青年と話をする。 ふと気がつくと、誰もいない。 内橋さんが居るから大丈夫だと思ったが、内橋さんは、最近ウィーンに転居してきたので、電車で帰るとのこと。 あわてて、バスに戻る。 バスでは、すでに出発の準備完了で、私の席はなかった。 小森さんの隣を譲ってもらい、なんとか18時間の夜行バスの席を確保。 しかし、ライヴ後の移動はつらいなあ。 6月15日 アムステルダムへ移動、ビムハウス・コンサートウィーンのライヴ終了後、バスでアムステルダムまで移動。結構、疲れた。 ビムハウスというライヴハウスで、ライヴ。 いい音だった。 前にも3回ほどやったことがあるところだが、最近ウォータフロントの立派なビル内に移転した。 下ホールでは、女王がきて、オープニングパーティをしていた。 船で登場で、かっこよかった。 ライヴは、疲れていた分、よけいな力が抜けて集中できて、いい演奏ができた。
6月16日 楽譜屋へ、ハンブルグへ移動午前中、楽譜屋へ。トランペットのソロの楽譜などを購入。 午後、ハンブルグに向けて、出発。 夜ついて、ジャズクラブへ。 渋さの曲を2曲、スタンダードのセッションで、ソフトリーを演奏。 ソフトリーは、リズムがBにいかず、アドリブしにくかった。 帰りにケバブ屋に寄った。 私はお腹がすいていなかったので、外で待つ。 すると、顔面ボコボコになったジャンキー風の青年が話しかけてきた。 適当に話をすると、彼はケータイの待ち受け画面にある自分の犬の写真を見せてくれた。 こんな写真を持っているジャンキーはいないと思っていたのだが、翌日、ファブリックの前のポスターを見てびっくり。
なんと彼が写っているではないか。 彼は、世界的に有名なプロボクサーだった。 たぶんスパーリングの後、私にあったのだろう。 ジャンキーでなくてよかった。 宿泊所は、幼稚園。 軍隊ベッドでなかなか眠れなかった。 6月17日 ハンブルグ・ファブリック・コンサート9時に園児が来るので、それまでに撤去。昼間で、港で待機。 昼食。 2時ごろやっと、ホテルにチェックイン。 ホテルは、連れ込みホテル+ロックホテル。 ライヴはファブリック。 何度もやっているハコ。 音がとても聴きやすく、演奏しやすかった。 終わって、小森さんと町に繰り出す。 セックスショップなどを見学。 焼きそばを食べて、ホテルに戻る。 ホテルでは、がんがんにロックがかかっていて、眠れず。 6月18日 ダルムシュタットへ移動昼過ぎに、ハンブルグを出発。ダルムシュタットに向かう。 ダルムシュタットで、遅い晩飯。 トルコ料理を食べる。 6月19日 ダルムシュタット・コンサート
午後からサウンドチェック。 一度、宿に戻って、夕方からコンサート。 ミュージックフェスティバルで、城の中の特設ステージでの野外演奏。 前のバンドがスカパラみたいだった。 おまけにTPの人が使っている楽器が、ナーゴさんと同じ、XO-RV赤ベル。 私も前に使っていたラッパだ。 コンサートは、第2弾最後ということもあり、力いっぱい演奏した。 音も城に響き、いい感じだった。 6月20日 フランクフルトへ移動、光音天ツアースタート、ライン下り、コブレンツユキノとフランクフルト空港で待ち合わせ。渋さのメンバーが帰るのを見送りながら、ユキノをピックアップ。 マインツに行って、ライン下りをしようと思ったが、乗った電車がバイスバーデン行きだったので、デュルスハイムから船に乗ることにした。 結果、この選択が正解。 マインツからでは、船がなかったのだ。
今日は、天気がとてもよかったので、上半身裸、ズボンを捲り上げて、日光浴。 コブレンツまでの4時間の船旅。 ひりひりするほど焼けてしまった。
コブレンツで、ホテルを探し、夕食。 久しぶりにスパゲッティを食べた。 6月21日 コブレンツ観光、ブッパタールへ移動
3時近くまで、コブレンツを観光。
天気がよく、とても暑かった。 ライン川とモーゼル川が合流するドイチュエッグといわれるところに行ったりした。
3時に駅に行き、電車でケルンへ。 ケルンで乗り換えて、ブッパタールへ。 電車の中もとても暑かった。 こちらでは冷房など存在しないのだ。 ブッパタールからモノレールに乗り、エバーハルトさんのうちに着いたのが、予定通り7時を回っていた。 エバーハルトさん夫妻と、ガーデンで夕食。 夜中まで話をした。
6月22日 ブッパタール動物園へ、レコーディング
昼間、歩いて15分ぐらいのところにある動物園に行く。 ペンギンをまずみて、トラやライオン、ゾウ、サルなどを順に見る。
帰って、3時からレコーディング。 4曲をとる。 去年は、おとなしい感じだったが、今回はとてもストロング。 このほうがエバーハルトさんとのDUOはいいようだ。 夕食は、ユキノが中心に作ったてんぷら、ご飯と熱燗だ。 久しぶりの日本食に食べ過ぎてしまった。 6月23日 ブッパタールセンターへ買い物、レコーディング
昼間、ブッパタールのセンターに買い物。 ポーチが壊れたので、1ユーロショップでポーチをゲット。 デザインがよかったので、3つも買ってしまった。
3時から、昨日に引き続き、レコーディング。 夕方から、明日の準備。 夜、ブッパタール在住のリエさんが遊びに来る。 夜遅くまで、話をする。 6月24日 ブッパタール・コンサート
昼間、近くのフォレストにビデオ撮影に行く。 去年も同じところで撮影した。 8時から、コンサート。 自宅でコンサートが可能というのはすごい。 ケルンから、フィリップやチエちゃんが見に来てくれた。 コンサートは、今回も2部のほうがよかった。 もちろんレコーディングした。 日本に帰って、CD制作しよう。
2部は、ユキノがボディーペインティング。 ムービングペイント。 面白い絵ができた。
3時近くまで、ガーデンで宴会。 モグラや蛍、無数の星などを見ながら、ワインをたくさん飲んだ。 6月25日 ブッパタールのフォルクス散歩、食事遅い朝食。昨日見に来たお客さんが泊まっていて、一緒に朝食。 本を書いている人で、話が面白かった。
夕方からフォルクスへ散歩。 歩いて、すぐにフォルクスがあるのは、すばらしい。 本当は、フォルクスの終点のユーゴ料理の店で夕食のはずだったが、店が閉まっていたので、散歩になった。 戻って、町へ。 スペイン料理は、一杯で、結局、アラビアン料理になった。 食べすぎで、また腹が膨れてしまった。 6月26日 ケルン・コンサート1時にケルンに到着するように、ブッパタールを出発。ケルンで、フィリップたちと会う。 すぐに今日のライヴ会場、ジャーニーカフェへ。 青山のような一角にあるしゃれたカフェ。 1部は、光音天。 2部は、ケルン音響派のギターリスト2人とセッション。 まさしく音響だった。
前田さんが見に来てくれた。 2002年以来だ。 引きこもっていたそうだ。 終わって、近くの公園でやっているミュージックフェスを見に行く。 適当に切り上げて、フィリップの家へ。 夜遅くまで、飲む。
6月27日 ケルン観光、コンサート
昼間、町へ。 ライン川を見ながら、動物園まで歩く。
動物園は、10ユーロほどしたので、やめて、植物園へ。 タダだった。
フィリップの家に戻って、夜、ライヴ会場へ。 1部は、光音天。 2部は、セッション。 ダンサー、ユキノ、チエ、ヨシの3人、ミュージシャン、ギター、バイオリン、パーカッションと私の4人。 ほとんどトランペットを吹いた。 ビデオ取材があり、パーカッションの人と取材を受けた。 通訳は、前田さん。 夜、また遅くまで飲んだ。
6月28日 ケルン情報芸術大学コンサート
チエがワルシャワに行くのを見送って、情報芸術大学へ。 ゼミの前に10分ぐらい、ダンスとピッコロトランペットでパフォーマンスをする。 その後、身体論のゼミを聴講。 面白そうだった。 終わって、フィリップの隠れ家へ。 ライン川のほとりで、とても気持ちがよかった。 夜は、レイさんが中華料理を作ってくれた。 とんこつヌードルスープが、ラーメンのようで美味しかった。 6月29日 ケルン観光、サッカー観戦今日は、早朝から町へ。美術館で、マリア像などを見た後、明日以降の移動を調べる。 夕方、フィリップとサッカーを観戦。 コンフィデーションカップ。 最初は、パブで、ビールを飲みながら、ドイツ対メキシコの3位決定戦を観戦。 盛り上がった。 次に家で、ワインを飲みながら、ブラジル対アルゼンチンの決勝戦を観戦。 6月30日 パリへ移動早朝、フィリップ宅を出て、パリに向けて出発。前に何回も使ったバスを今回も使う。 しかし、1時間遅れてきて、到着したのが、3時間送れ。 今度は、飛行機にしようと思う。 パリに着いたら、大雨だったので、前に泊まったホテルへ。 69ユーロだった。 同じビルのスーパーで、食べ物を買い、ホテルのレストランで食事。 食べ過ぎた。 |
7月1日 パリコンサート会場下見朝、クロワッサンを1つ食べて、近くの100円ショップへ。ホテルを45ユーロのホテルに移って、町へ。
オペラに出て、スケジュールをゲットし、ルーブル美術館へ。 20年ぶりに来たので、ずいぶん変わっていた。
東駅の近くの明日のライヴ会場へ。 TACAさんと会って、ミーティング。 6日にライヴを急遽企画し、コンサート会場のシャロンヌへ。 マークにコンサートの依頼をする。 6日にコンサート決定。 その後、ホテルまで1時間ほど歩いて帰る。 今日は、たくさん歩いたので、少し細くなったような気がする。 7月2日 パリ・コンサート3時入りで、東駅近くのコンサート会場へ。サウンドチェックをするのに時間があったので、オペラの近くのブックオフへ。 モンサンミッシェルなどの情報を仕入れに行く。 戻って、サウンドチェック。 夕食を食べにまた外へ。 中華を食べる。 チャーハンと野菜炒めにショーロンポウ、飲み物はジャスミン茶。 閉めて17ユーロ安かった。 サービスもよかったので、チップをあげた。
コンサートが始まる。 最初のバンドは、打ち込みにエレキベース、ギターが入って、舞踏も入っている。 映像も入っていて、結構面白かった。 2つ目のバンドは、サックスとエレピのDUO。 楽屋にいなければならなかったので、音しか聴けなかったが、フランスっぽくてよかった。 3番目が光音天。 静かな演奏になった。 4番目は、アコーディオンのTACAさん。 地下鉄の時間が迫っていたので、最後まで見ることができなかった。 7月3日 パリ観光
TACAさんのところにスーツケースと楽器を預けに行く。
今日は、第1日曜日なので、美術館が無料と聞く。 さっそく、歩いて、バスティーユを通って、ピカソ美術館、ポンピドゥセンターと回る。
一度、ホテルに戻って、インプロセッションがある会場まで歩いていこうとする。 ホテルの近くのストリートだったので、歩いてみたが、メールで受け取った住所がなく、会場にたどり着けなかった。 メールの住所が違っていたようだ。 ホテルの周辺のバニョレを散歩。 飲み屋でビールを飲み、1664というビールの760ミリリットルボトルを買う。 店の人がこのビールを選んで正解だ、このビールは美味しいよと叫んでいた。 パリ郊外は、のんびりしていて、よかった。 7月4日 ムランへ移動モンサンミッシェルに行くために、モンパルナスの駅へ。その日の昼間につくTGVはすべて売り切れ。 夜つくTGVしかない。 またクレジット販売機で、私のカードが認識せず、大勢並んでいる切符売り場で買わなければならない。 断念して、オペラのブックオフに郊外の町を探索に行く。 結局、バルビゾンに行くことにする。 ムランという町まで地下鉄で行かれることも判明。 安く行ける。 さっそく、リヨン駅まで行き、地下鉄D線に乗る。 ムランは終点。 駅に着くと、ホテルを探すが、町の中心に出てもホテルがない。 観光地ではないのだ。 しかし、セーヌ川沿いのとてもきれいな町だ。
何とか駅の裏のホテルを探し当てる。 28ユーロ。 安い。 下のレストランで夕食。 明日は、バルビゾンだ。 7月5日 バルビゾン観光、ムラン観光バスでバルビゾンに行こうとするが、バスがないことが判明。やむなくタクシーで行くことにする。 16ユーロだった。 まあまあだ。
バルビゾンは、ミレーなどのバルビゾン派で有名な町。 建物などどれも絵になる。 絵描きは、訪れたい町だ。 しかし、美術館など平日は休みで、町の散歩のみ。
町といっても200メートルぐらいのストリート一本のみ。 それでもきれいな町なので満足。
ビールなど飲む。 バスでフォンテンブローに行こうとするが、土日しか動いていない。 アメリカ人のバックパッカーも呆然。 結局、ムランのタクシーを呼んで、ムランに引き返すことにする。 16ユーロで帰れた。 よかった。
またムランの安ホテルに泊まることにする。 チェックインをして、町を散歩。
とてもきれいな町だ。 住みたくなった。
でかいスーパーがあり、そこで、クレープ、トリの丸焼き、チーズなどを買い、小川沿いのベンチで食事。 これが一番安上がり。
7月6日 パリ・コンサートコンサートがあるので、昼にパリに戻る。ムランからパリリヨン駅までノーストップ電車があり、25分ぐらいでパリに着く。 通勤圏内だ。 ローマ通りの楽譜屋、管楽器屋を探索。 今日のコンサートのチラシを置いてもらったり、楽譜を買ったりした。 TACAさんの家に行き、荷物を受け取る。 今日の宿泊場所を探しに、バスターミナルのホテルへ。 数件ホテルがあるが、どこも一杯。 コンサート会場のシャロンヌのクースクース屋の上のホテルへ。 ここもトリプルルームしか空いていなかった。 60ユーロだったが、しょうがないので、泊まることに。
7時半ごろコンサート会場のタンポンに到着。 今日は、沖さん、TACAさんとのセッションもある。 1部は、光音天。 2部は、セッションだ。 セッションは50分以上もやってしまった。 お客さんもフランス人が多かった。 終わって、ワインを飲みながら、会談。 夜中の3時近くまで、飲んだ。 ワインもスペシャルなワインばかり。 これを飲んだら、普通のワインは飲めなくなる。 赤、白ちゃんぽんで飲む。 大丈夫か。 7月7日 パリ休養ユキノが二日酔いでダウン。本来は、沖さんのアトリエに行くはずだったが、中止。 もう一泊、ホテルに泊まることにする。 昼、ブリュッセル行きのバスのチケットを買いにバスターミナルへ。 ひとり25ユーロ。 ホテルに戻り、仮眠。 私も結構、疲れていた。 夜、近くのイタリアレストランで食事。 ちゃんとしたイタリアンだった。 ピザマルゲリータとスパゲッティカルボナーラを食べた。 美味しかった。 7月8日 パリ・パーティ沖さんのアトリエに移動。2年前に訪れたところだが、駅からの道順を忘れてしまい、沖さんに迎えに来てもらう。 沖さんのネットワークがつながらなくなっていたので、電話会社に電話しながら、修復作業。 3時間ぐらいかかって、やっとつながるようになった。 夜は、日本語無料情報誌OMNI主催のパーティに行く。 ミュージシャンもたくさん来ていて、今後につながる話をすることができた。 パリでクラシックトランペットを専攻する音大生にも会い、フランスのトランペット事情をたくさん聞くことができた。 7月9日 ブリュッセルに移動ブリュッセルに移動。4時間ほどでブリュッセルに到着。 駅でYORKと待合わせたが、お互いに初対面だったので、合うのに戸惑った。 彼の家にステイ。 天井が高くて、いい家だ。 夜、町に出て、ピタサンドを食べる。 行列ができている店があったので、並んでみた。 フライドポテトのテイクアウトの店だ。 2ユーロで山盛りの揚げたてポテトを買うことができる。 土曜日の夜なので、30分ぐらい並んで、買うことができた。 近くの公園で、ポテトを食べる。 お腹一杯になった。
7月10日 ブリュッセル観光ベルリンまでのチケットを取りに、NORD駅まで行く。急遽行くことが決まったので、地図などの情報が全くなく、今、どこに居るのかもわからない状態。 町のMAPなどを探しながら、地下鉄でNORD駅まで行く。 チケットを買って、ユキノが美術館に行きたいというので、ホテルなどを回って、地図を手に入れる。 繁華街、名所旧跡などを回って、歩いて美術館まで行く。
美術館もすごく広く、全部見たら、足に水ぶくれができてしまった。
なんとか歩いて、家の近くまで戻ってくる。 家の近くのケバブ屋でビールなどを飲み、昨日も食べたフライドポテトを買って、家に帰る。 CIMAY BLUEというアルコール分10パーセント近くの強いビールを飲んだせいで、2時間ほど眠る。 おきて、アメリというパリを舞台にした最近の映画をDVDで見る。 パリに9日間滞在したことで、パリの人々の様子がだいぶわかっていて、面白く見ることができた。 7月11日 ブリュッセル観光、ベルリンに移動3日連続して行き、すっかり顔なじみになったケバブ屋で昼食。フィッシューバーガーとピタ・ファラフェルを食べる。 今日は、町とは反対側のミュージアムがある公園まで歩いていく。 月曜日のため、ミュージアムは休みだったが、公園が気持ちがよかった。
商店街があったので、ウインドショッピング。 ALDIでヨーグルトを買って、道で食べる。 アイスクリーム屋で、バニラ、ココナッツ、カシスのアイスを買って、公園で食べる。 ベルギーは、SWEETSが美味しい。 喫茶店でコーヒーも飲む。 帰りにスーパーで今日の夕食を買って、帰る。
ヨークに北駅まで車で送ってもらう。 車の中で、会社の話と法人税の話をする。 いままでヨークと盛り上がった話はなかったが、ビジネスの話になると、とても活き活きとしゃべっていた。 彼は、今、ビジネスに一生懸命だということがわかった。 7月12日 ベルリン観光朝、ベルリンに到着。古谷君の家まで、前にメールで送ってもらった道順を行く。 古谷君と5年ぶりの再会。 すっかり大人になっていた。 近くの図書館まで散歩。 図書館でトランペットの譜面をたくさん借りる。 トルコ人の市が出ているというので、野菜などを買出しに行く。 帰りにケバブ屋でケバブとビールをご馳走になる。 ケバブが1.8ユーロ。 とても安い。 ベルリンは、東ドイツの都市でもあったため、物価が安いそうだ。 家賃も安く、これなら住めそうな気がする。
夜、歩いて5分ぐらいのところに飛行機を見に行く。 古谷君は、ベルリンの市内から最も近い空港の近くに住んでいる。 飛行機が飛ぶのを間近で見ることができて、面白かった。 7月13日 ベルリン観光、セッション
今日は、早起きをして、湖にスイミング。 20分ぐらい電車で行ったところに湖がある。 ベルリンは、森や湖が町の中にある都市だ。 人口もとても少なく、ゴミゴミしていない。 とても住みやすそうだ。
zooに移動して、写真家のヘルムート・ニュートンの美術館に行った。 彼は、2004年の1月に亡くなって、その年の4月に美術館ができたそうだ。 すごい人だ。 その後、タヘレスを10年ぶりに訪れた。 基本的に変わっていなかったが、アングラさが薄れていた。 ユダヤ人街、トルコ人街を歩いて、家に帰った。
夜は、ベースの安藤さんの主催する即興演奏セッションに参加した。 一回目のセッションは、現代音楽のような即興演奏になった。 98年にメールスで、ケルン放送響のハンスとやったような演奏だ。 とても注意深い演奏で、とてもよかった。 少し休んで、2回目のセッション。 エレベとロック系ドラムが入って、最初、ちょっとクラブ乗りの演奏になった。 しかし、徐々に自由になって、結果的に一回目とは違った意味で、面白い演奏になった。 2回目には、マユミも来てくれて、参加してくれた。 安藤さんの話では、毎週セッションをして、月に1回ライヴをするとのこと。 すばらしいことだ。 7月14日 ベルリン観光今日は、ワルシャワまでの切符を買いに行って、オストバンフ駅近くの壁を使ったギャラリーを見て、コピー屋に行ったが、コピー屋は5時を過ぎていたため、閉まっていた。夜は、昨日の一回目のセッションに参加したドラムのアメリカ人のジャズ演奏を聴きにいった。 場所は、とてもいいところだった。 7月15日 ベルリン観光今日は、昨日閉まっていたコピー屋に行って、楽譜を図書館に返した。その後、アインシュタイン展を見て、アレキサンダープラッツまで歩いて、店をぶらぶらした。 アジアンショップを見つけて、入ってみたら、日本より食材が充実してる。 特に韓国、中国、東南アジアの食材が一気に買えるところがすごい。 値段も手ごろだった。 ベルリンに住めるような気がした。
7月16日 ワルシャワ移動、観光昼前に古谷君の家を出て、ワルシャワへの電車に乗るためにオストバンホーフという駅に行く。
6時間でワルシャワへ着く。 前にワルシャワからベルリンに行っているので、問題なくワルシャワセントラル駅に到着する。 マーチンが迎えに来てくれている。 マーチンのアパートに荷物を置きに行き、レストランに食事に行く。 レストランは、旧市街の近くのユダヤ料理の店。 ちょっと高めだったが、美味しかった。 その後、前回、コンサート前に行ったバスルームパークに行く。 前回は、秋で紅葉がきれいだった。 今回、ヨーロッパにも持ってきたNinja JockeyのCDのフロントカヴァーもその公園の紅葉した木々に覆われた池を取ったものだ。 今回は、夏の日が落ちて薄暗い中にいったので、前回とは違った景色を見ることができた。 たくさんの写真を撮った。
7月17日 ワルシャワ観光今日は、1日オフだ。マーチンのアパートの同居人の女の子Kasiaと町に出る。 2時間ほど時間をつぶして、公園で行われている無料のジャズフェスを見に行く。
ポーランドのバンドが出ていた。 最初に見たバンドは、クラリネット、バイオリン、コントラバス、エレキベースにコンピュータが入った編成で、ミニマルミュージックのようなことをやっていた。 それに途中から、ラッパーが入って、とても面白いバンドだった。 2番目に見たバンドは、フュージョン。 テクニックがすごかった。 特にキーボードのリズムが抜群だった。 日本ではあまり見ないリズムのよいキーボードだったので、キーボードの音ばかり聴いていた。 帰りにスーパーによって、夕食の材料の買出しをした。 7月18日 山へ朝、ロシア大使館でビザの申請をする。90ユーロ近くもする上、受け取りは14時から16時のみ、支払いは、大使館ではなく、大使館から100メートル歩いたビル。 支払って、また大使館に戻って、支払済み書類を提出する。 とても手間がかかった。 結局、マーチンに22日の午後に取りに行ってもらうことにした。 11時過ぎにワルシャワを出て、南のウクライナとスロバキアの国境に近い、マウンテンに行く。 500キロも離れていて、高速道路などないが、平均100キロで、途中買い物などもして、6時間ぐらいでつく。 宿について、近くの山に散歩。
宿も4人部屋を3人で使える上、部屋の外だがキッチン設備もある。 これが1泊ひとり6ユーロ強。 安い。 家族連れが多い。 外国人など来ないところのようだ。 山から下りて、近くのバーでビールを飲む。 山を歩いた後は、とても美味い。 明日に備えて、早々と寝る。 7月19日 山登り
今日は、朝から山登りに行く。 乗り合いバスで、登山口に行き、そこから歩く。 6時間ほどの行程だ。
今日は、天気がいまいちで、雨が心配だ。 それでも下山直前までは、風は強かったが、雨は降らなかった。
下りの途中から、大雨。 レインコートがなかったので、ずぶぬれ。 おまけに雹まで振り、とても痛かった。 しかし、ホテルに戻ってみれば、靴や服はビショビショだが、とても面白い山歩きだった。
7月20日 山登り
今日も、昼ごろから、山に登った。 昨日よりも、楽なコース。 しかし、6時間かかった。
今日は、天気もよく、最高の登山日和。
降りて、バーでビールを飲みながらの食事。 猫がかわいかった。
7月21日 ワルシャワへ移動昼ごろにホテルを出て、帰路。レビンという町を過ぎたところで、遅い昼食。 突然、マーチンが閃いた。 途中にイイ古い街があるから行こうと言う。 もちろん同意して、寄り道。 鎌倉みたいなとてもきれいな町だった。
夕食も食べる。 ワルシャワに帰ってみると、右手をたくさん虫に刺されていた。 そんなに痒くないが、見栄えが悪い。 山でよく寝ていたせいか、ぜんぜん眠れない。 夜更けには寝てしまったようだ。 7月22日 グダニスク・コンサート朝、ワルシャワからグダニスクに向かう。グダニスクの駅で、ウーカッシュに会う。 少しふけたようだ。 オーガナイザとそのまま会場へ。 コンテンポラリ・アート・ミュージアム。 とてもいい会場だ。 荷物を置いて、昼食をとるため町へ。 雨が降っていて、寒い。 山を思い出す。
昼食後、サウンドチェック。 とても長い残響。 パリの修道院を思い出す。 1部は、ウーカッシュとのDUO。 2部は、光音天。 メリハリの利いたいい演奏だった。
コンサート後、ホテルへ。 久しぶりのシングルルーム。 いいホテルだ。 ここのオーガナイザは、プロだ。 コンサート前に約束の金額のギャラをくれた。 結構な金額。
ホテルをチェックインして、海へ。 バルト海。 静かできれいな海だ。 シーフードをたくさん食べた。 7月23日 イナロージュ・フェスティバル・コンサート朝、ホテルを出て、ワルシャワに電車で戻る。週末のため、2等車がとれず、1等車に乗る。 倍近くしてしまった。 ワルシャワで、フェスティバルのオーガナイザにピックアップしてもらい。 ワルシャワから南西に120キロぐらいのイナロージュという村に行く。 ちょうど、子供がヒップホップダンスをしているところだった。 ギターを弾いている子供がとてもしっかりしていて、PAを手伝っていた。
今日は、一般のお客さんが多そうだったので、わかりやすいリズムをだそうと考えて、サウンドチェックでは、テクノやトランスの音を出してみた。 しかし、やはりなんとなくいつもの音響を出したくなり、本番では、いつものようなわかりやすいリズムを一切出さない演奏になった。 お客さんも熱心に聴いてくれた。 こういう音楽を聴きなれているようだった。 お客さんのレベルの高さに驚いた。
光音天のコンサートの後、セッションがあった。 セッションは、現代音楽のようなセッション。 ウッディートランペットとゴングを使ったDUOのグループとベースのおじいさんのコミュニケーションが抜群だった。 ベースのおじいさんは、地元ではかなりの有名人で拍手もたくさんあった。 ベルリンのセッションに似ていた。 コンサートで、あらためてわかりやすいリズムを出さなくてよかったと思った。 7月24日 ワルシャワ・コンサート
ワルシャワ郊外の町から、ワルシャワにバス移動。 コンサート前に、近くの川を散歩。 リフレッシュさせる。
今日は、ワルシャワ・エレクトロニック・フェスティバル。 9時から1人パフォーマンス。 光音天は、10時からだ。 たくさんのお客さんが入っていた。 45分とマネージャから指示があったので、1秒も狂わず45分きっかりのパフォーマンスをする。 11時から、また1人パフォーマンス。 最後まで聴いていたら、12時40分ぐらいになってしまった。 最後の演奏はよかったが、如何せん長い。 1時間30分近くも演奏している。 きっとやりたいことがたくさんあって、整理ができていないのだろう。 私も過去そうだった。 コンピュータミュージックは、キーボードもそうだが、何でもできるから、何でもやりたくなる。 しかし、分析・整理をしないと音楽にならない。 コンピュータミュージックの演奏がテクスチャーになりがちなのは、その辺にあるのではなかろうか。 7月25日 ワルシャワ観光・クラクフに移動
午前中、歩いて30分ぐらいのところにあるヨーロッパ最大のロシアンマーケットに行く。 ものすごく規模がでかい。 日本では使えない220Vのコーヒー・ヒーターを1ユーロほどで買う。 これは、簡易湯沸かし器だ。 電源に金属の抵抗をつけただけのとても危険な代物だ。 またDVDのムービーを数枚買うが、ちゃんと映るか不明。 午後、クラクフに移動。 クラクフで先に戻っていたマネージャーのウーカッシュと会い、彼の家へ。 夜、ピザを食べて、ビールを飲んだ。 今夜は、久しぶりのオフだ。 7月26日 サノーク・コンサートクラクフからサノークに移動。3時の出発だったので、それまで伎芸天のCDジャケットのデザインを完成させ、日本にエアーメールで送付。 サノークまで、電車2時間、クルマで1時間半の行程。
ついたらすぐにコンサート。 今日は、2ステージ演奏。 わかりやすい演奏をしてくれとのマネージャーからの要請。 リズムや詩吟などを入れた演奏をする。 しかし、最後はノイズで終了。 終わって、ウオッカを一気飲み数十回。 ホテルに帰ると朝だった。 7月27日 サノーク観光ホテルを10時にチェックアウト。久しぶりの二日酔い。 ウーカッシュの実家に向かう。 郊外の高級住宅地。 家も新築でとても広くきれいだ。 庭も広い。 昼食をご馳走になるが、二日酔いで食欲がない。 食事の後、睡眠。
夕方、ウーカッシュのセカンドハウスを見学。 昨日のライヴハウスで、ビールを飲む。 その後、ウオッカに移行し、またも一気大会。 深夜、タクシーで帰る。
7月28日 チェシェンへ移動、渋さに合流朝、昨日にも増しての二日酔い。食事をして、クルマに乗るまでの間に、トイレで吐く。 クルマに1時間半乗っていたら、間違いなく、クルマの中で吐くからだ。
乗換駅で電車がなかなか来なくて2時間近く待つ。 そのため、予定していたクラクフからチェシェン行きのバスに乗れず、ウーカッシュの家でしばし休憩。 2時間遅れてチェシェンに到着。 ちょうど、渋さが食事をしているときだった。 その後、不破さんたちと久しぶりに飲む。 チェシェンは、チェコとの国境の町、町がチェコ側とポーランド側に別れている。 チェコ側に簡単にいけるので、1次会はポーランド、2次会はチェコ、3次会はポーランドで飲む。 きょうもウオッカを飲んでしまう。 7月29日 チェシェン・渋さコンサートとても暑い。東京に居るようだ。 昨日のウオッカも残っていて調子が悪い。 ともかく昼を食べに町へ。 とても遠い。 昼を食べて、またホテルに戻る。 山道でしかも遠いし暑い。 しばしホテルで休憩。 夜、会場へ。 会場は、とても広いテント。 暑い。 夕方、町をパレード。 チェコ側から始めて、ポーランド側で終わる40分近く演奏。 坂を登りながら吹いたので、とても疲れた。 水をたくさん飲む。 コンサートは夜10時から。 2時間半のコンサート。 終了したら、1時近く。 とてもたくさんのお客さんがいた。 7月30日 チェシェン観光一日オフ。チェシェン観光をする。 といっても、とても蒸し暑く。 昼間は動けない。 3時過ぎに不破さんのホテルまで歩いていく。 不破さんと打ち合わせをして、帰りに墓地を通る。
チェコ側の町のテシェン駅の時刻を調べるために国境を越える。 途中、フィルムフェス会場の映画館の前を通るとイラン映画をやっていたので、見ることにする。 駅で時間をチェックして、再びポーランドへ。 音楽フェス会場を見るが、まだ始まっていない。 町を散歩して、ホテルに帰る。 7月31日 ブルノへ移動
昼に渋さ一向が出発。 見送って、出発。 チェコ側のテシェン駅に行き、ブルノに向かう。 途中、乗換えをして、ブルノに到着。 チェコ国内の電車なので、とても安い。 ブルノは、私の持っているロータリートランペットとロータリーフリューゲルの名前の町。 この2つの楽器は、98年にウィーンで買ったものだ。 それだけの思いで、この町に滞在することにした。 楽器屋を探し、楽器を見るが、ヤマハが並んでいる。 私の楽器は、当の昔に廃れてしまったようだ。
とはいえ町は想像していた以上にいい町で、ホテルを探して、町を探索。
夜は久しぶりにステーキを食べる。
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8月1日 ウィーンへ移動
午前中、ブルノの町を散歩して、午後、ウィーンに移動。 国際列車なので、とても値段が高い。 ウィーンについて、楽譜屋へ。 めぼしいのを見て、今日は買わずにホテルに。 ホテルは、前にも泊まったことのあるところだったが、リフォームして変わっていた。 値段も倍になっていた。 ほかを知らないので、ここに泊まることにする。 ステファン大聖堂の近くのピザ屋で夕食。 ここも前に来たことのある店だ。 とても安い。 8月2日 サラエボへ移動直接、イタリアに行こうと思っていたが、バスがなく、やむなくボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボに行くことにする。ついこの間、市街戦があった町だ。 治安などの情報を調べにインターネットカフェへ。 調べたところ大丈夫そうだ。 サラエボの次の町、クロアチアのスプリット行きのバスもあるし、スプリットからイタリアのアンコーナ行きのフェリーもある。 バスオフィスに行って、チケットを購入。 町へ戻って、昨日行った楽譜屋へ。 昨日購入しようと思っていたメソッドの本が売れていてなかった。 店の人に聞いたら、トランペッターが大量にメソッドの楽譜を買って行ったそうだ。 まさかこんな専門的な本が売れるとは思っていなかった。 失敗した。 しょうがないので、時間をつぶし、バスターミナルへ。 去年、ブカレストに行ったときと同じターミナルだ。 去年のバスよりも、立派なバス。 車内も清潔だ。 途中、グラーツを経由。 コンピュータ音楽が盛んだと聞いて、寄ろうと思ったが、あまりに情報がなく断念。 町は近代的な感じだ。 グラーツから、スロベニア、クロアチアと国境を越える。 ザグレブの横を通過し、ボスミアヘリチェゴビナに入る。 ここで道は一般道に、道幅も狭く、でこぼこだ。 8月3日 サラエボ観光、スプリットへ移動
早朝、サラエボに到着。 町を探索。 弾痕がいたるところにある。
崩れかかったビルもある。 戦場の風景が残っている。
新しいビルも立っているが、ほんの数件だ。
町を西から東に歩いてみる。
ここは、イスラム教の地域だ。 トルコに近い感じで、いたるところにモスクがある。 コーヒーもトルココーヒーで、コーヒー器具も売っている。
東のほうは、観光地区として栄えており、観光客でにぎわっていた。 しかし、見るべきところはすべて見てしまい、ここに宿泊する必要もないと思ったので、スプリットに移動することにした。 バスの出発までの少しの時間に両替したボスニアのお金を使いきらねばならない。 町を探索するがほしいものがなく、しょうがないので、CDを買うことにした。 CDショップはとても高いので、キオスクにあるCDを購入。 後で聴いてみるが、とても面白かった。 サラエボからスプリットまではバスで、山道を行く。 日光のいろは坂のような坂道をバスで登り降りる。 景色がとてもきれいだ。
特に山の切れ目から、アドリア海が見えたときは、感動した。
クロアチアの海岸線はとても起伏に飛んでいて、面白い。 今度は、クルマで回ってみたいところだ。
スプリットに着いたのは、夜の10時過ぎ、宿が心配だ。 案の定、自宅を提供してくれるおばあさんが寄ってきた。 50ユーロということで妥協。 夜も遅いししょうがない。 部屋はとてもきれいで、ベッドも大きくて硬い。 バスタブもあり、久しぶりに風呂に入る。 夕食は、レストランがしまっていたので、マックで済ます。 8月4日 スプリット観光、アンコーナへ移動
夜9時のフェリーを予約した。 それまでの時間は、スプリット観光。
とても海がきれいだ。
ベニスのような通りを歩いて、ウインドショッピング。 レストランでイタリアンを食べる。
港のベンチでのんびりしていると、ザグレブから来たオヤジが声をかけてきた。 音楽の話で盛り上がる。
7時から船に入れるということなので、早めに船に乗る。
フェリーは、デッキ席で一番安い席。 デッキというので、甲板かと思い、外に居る。 雨も降ってきて、寒いので、シート席を買おうと中に入る。 シート席は冷房が効きすぎていてとても寒い。 レストランにいることにする。 とりあえず、1リットルのクロアチアワインを注文。 これで一晩居座る予定だ。 途中でポテトフライを追加。 9時に出向して、11時までの2時間、スプリット沖に停泊。 11時に動き出した。 それと同時にレストランはクロウズ。 売店の前の椅子に移動。 朝までそこに居る。
8月5日 リミニ海水浴、サンマリノへ移動
朝、カプチーノを頼んだところで、クロアチアマネーは使い切った。
8時にアンコーナに到着。
電車でリミニに移動。
リミニは海水浴場がある。
海まで歩いて、パラソルとベッドを借りて、海水浴。
昨日あまり寝ていない疲れも取れる。
夕方、サンマリノに移動。 サンマリノの宿を見つけ、荷物を置いて、城などを観光。
サンマリノは、イタリアよりも物価が安く、食べ物が美味い。 白ワインはとても美味しかった。
8月6日 サンマリノ観光、ラベンナ観光、ボローニャへ移動
午前中、サンマリノ観光。
昼をホテルのレストランで食べ、バスでリミニに移動。 リミニから、ラベンナに電車移動。
ラベンナで宿を探そうとするが、なかなかいい宿がない。
しょうがないので、観光をして、ボローニャに移動。
ボローニャには夜10時過ぎに到着。
ホテルを探すがなかなかない。 やっと探したホテルが70ユーロ。 高かったが、しょうがないので、泊まることにした。
8月7日 ボローニャ観光、ミラノへ移動
午前中、ボローニャ観光。 塔などに登る。
昼過ぎ、ミラノに移動。 3時過ぎにミラノに到着。 さっそくホテルを探す。 セントラルステーション近くにホテルがたくさんある。 しかし、3星ばかり。 よく考えてみると今回のホテルは3星ばかり泊まっている。 安いかもしれないと思い、そのうちの1つに入り、値段交渉。 最初160ユーロだったのが、50ユーロまで値下げ。 2日泊まることにした。 荷物を置いて、センターまで歩く。 結構遠く30分ぐらいかかった。
センターは観光客がたくさんいた。 ほかの都市ではいなかった日本人がたくさんいる。
アーケードのCD屋楽譜屋を探索。 レストランはとても高かったので、夕食はバーガーキング。 久しぶりのファストフードだ。 ホテルまで30分歩いて帰る。 8月8日 ミラノ観光
今日は、1日ミラノ観光。 とりあえず、地下鉄の1日乗車券を購入。 センターまで出る。 昨日見なかった大聖堂を見る。 その後、城を観光。
昼食をどうしようかと考える。 センターのレストランは高いので、地下鉄で西へ。 適当な駅で降りてみると、何もない。 ひとつ手前の駅で降りてみる。 またも何もない。 もうひとつ手前で降りると、中華レストランがあった。 値段を見るとチャーハンが2.5ユーロと安いので、ここで中華料理を食べることにした。 久しぶりのカレーチャーハン。 美味しかった。 スーパーがあったので、入ってみる。 レストランが高いのと裏腹で、とても安い。 パルマハムやワインなどたくさん購入。 ホテルに戻り、一休み。 夜、買い忘れた楽譜を買いにセンターに。 その後、リマ広場まで行く。 スパゲティを食べ、ホテルに戻る。 ホテルで酒盛り。 パルマハムがとても美味しかった。 8月9日 ドモドッソラへ移動、観光昼、ホテルの近くのレストランで、スパゲティを食べる。昼過ぎの電車でドモドッソラへ移動。 ベルンまで直行するととても高かったので、イタリアのぎりぎりの町ドモドッソラまで行くことにする。
イタリアは、電車やバスが安い。
ドモドッソラは、シンプロントンネルの手前の町。 スイスの国境に近い。 日本人は全く来ないが、こちらのガイドブックには載っている町だ。 山間ののどかな町だ。 インフォメーションでホテルリストを入手。 一番安いホテルに行く。 35ユーロ、安い。 日本人のプロフェッサーが長期滞在していると聞く。
町を探索。 近くの丘に教会があり、軽い散歩をする。
ぶどうを買って、ホテルに帰る。 ホテルにプロフェッサーがいた。 話しかける。 日本人は、はじめて見たとのこと。 3ヶ月滞在していて、イタリアの研究をしている。 このホテルは、この町で最も古く、映画の舞台にもなったことがあるホテル。 ラッキーだ。 古い温泉旅館にいるような雰囲気だ。 夜は、ホテルのレストランでプロフェッサーと会食。
8月10日 インズに移動、渋さコンサート
昼、ベルン行きの電車に乗る。 ベルンで乗り換えて、インズに。
スイスは、電車料金がとても高い。 というより、物価が高いのだ。 お金がかかる。 3時にインズに到着。 渋さに合流。
10日間、トランペットを吹いていないので、音だしをする。 サウンドチェックの後、夕食、本番。 やはり吹いていなかったせいか、途中で唇が壊れた。 渋さは、ほかのバンドとは違う。
8月11日 インズ・オフ
オフ。 のんびりと寝てすごした。 近くのコープに買い物に行った。 スイスは牛乳が安い。 ヨーグルトも安い。 国がお金を出しているそうだ。 ほかの食べ物は相対的に高い。 8月12日 ブダペストに移動
早朝、ユキノを見送って、バスでブダペストへ移動。
夜11時にブダペストに到着。 2年ぶりのブダペストだ。 8月13日 ブダペスト観光、キエフに移動
夜7時にバスが出発するまで、オフだったので、ブダペストを観光する。 温泉に入りたかったが、お金が少し足りなくて断念。 まだ登ったことのない丘を登る。 中腹に山を削った洞窟があり、その中に教会があった。 鎌倉の銭洗弁天みたいだ。
丘の頂上まで登る。 ブダペストの町が一望できる。 降りて、いつも行く広場に。 ずいぶんと変わっていて、いつも行くKFCはなかった。 ここはハンガリー料理のチキンがもっとも安く食べられるところだった。 残念。
ホテルに戻って、仮眠。 バスに乗る前に近くの中華屋で夕食。 8月14日 コクトベルに移動夕方キエフ空港に到着。時差があるので、飛行機出発1時間前だった。 24時間近くのバス移動。 こんなに時間がかかったのは、ウクライナの国境だ。 夜11時ごろ着いて、5時ごろまでかかった。 どうやら賄賂をほしくて、時間をかけてパスポートコントロールしていたらしい。 ロシアと同様、公務員はよくないようだ。
飛行機で、クリミア半島の空港まで移動。 その後、バス。 クリミア半島の南端の海岸、コクトベルに到着したのは、夜中だった。 到着後、夕食。 寝たのは朝だった。
8月15日 コクトベル・コンサート1日目
コクトベルのジャズフェス1日目。 ウォーミングアップというかリハビリが必要だったので、ホテルの部屋で、基礎練習をする。 どうやらルーソルフと対バンだったらしく、渋さのサウンドチェックの前にルーがリハをしていた。 私は、ぎりぎりまで部屋でトランペットを吹いていたので、リハを見ることができなかった。 ルーは、ニューヨークで、ニューヨークフィルのペンザレラから紹介された人なので、話がしたかった。 残念。 今日は、基礎練習をしたため、インズより音は安定していたが、高い音がでない。 たぶん乱気流を起こしているためだろう。 もう少し、基礎練習が必要だ。 コンサート後、ジャムセッションに参加。 2曲ほど演奏する。 ここに、フェスのオーガナイザの本部がある。 彼からウォッカなどをもらい、話をする。 ルーのバンドのミュンヘン在住のテナー吹きもきて話をする。 地元のミュージシャンもたくさん来ていて、いろいろ話をした。 ジャズフェスはこのような交流がないと面白くない。 ジャムセッションが始まるまで、2時間半ほど待たされたが、交流ができて面白かった。 ジャムセッションはというと、学生が多く、サックスが10人もいて、いまいち面白くなかった。 ホテルに帰って、今日も朝まで飲む。
8月16日 コクトベル・コンサート2日目今日のコンサートは9時からで、時間があったので、海水浴をした。といっても1時間ほどの短いもの。 コンサート前に長いと疲れると思い短くした。 コンサートの前になんと、バックステージにルーソルフが来てくれた。 ペンザレラのことを話すと、いい先生だといっていた。 コンサートは、2日目ということもあり、いい演奏だった。 トランペットの調子は、ルーが来てくれたおかげで、昨日よりもよく、気流が安定し、高い音も出るようになった。 ほとんど本調子。 あともう少し、高い音が安定して出れば、元の状態に戻る。 ここまで調子が崩れたのは、久しぶりだ。 吹いていないのはよくないということが初めてわかった。
8月17日 コクトベル・オフホテルをチェックアウトして、ホテルをチェンジする。昼間暑いので、日が暮れてから、外に出る。 フェスを見る。 ルーソルフが出ていた。
ロシアのビックバンドのゲストだ。 面白くない。 中国で英語教師をしているウクライナ青年と飲む。 ヌーディストビーチまで行って、弾き語りのギターで盛り上がる。 夜なので、泳いでいる人はほとんどいない。
8月18日 コクトベル・オフ
今日も暑い。 海水浴もいいが、ホテルを移動したため、海岸まで遠く、気乗りがしない。 昼間は、トランペットの練習をする。 日が暮れて、フェスを見に行く。 やはり面白くない。 レストランで舞踏が、パフォーマンスをするというので見に行く。 停電でとても暑い。 8月19日 コクトベル・オフ
今日も昼間はホテルとトランペットの練習。 昨日より、ブレスが安定している。 やはり練習は必要だ。 夜は、フェスは見ないで、ホテルでテレビを見る。 途中、ピザとビールを買いに行く。 久しぶりのオフだ。 今まで、ハイテンションでツアーをしてきたので、精神的にも肉体的にも疲れていた。 いい休暇になった。 8月20日 ニージニー・ノブゴロド(旧ゴーリキ)に移動昼間、少しだけトランペットを練習。ホテルをチェックアウトして、バスで駅に。 駅から33時間の列車に乗る。 33時間分の食料を買う。 200円もかからない金額で買いそろう。 8月21日 列車移動中今日は、33時間移動の列車の中。ほとんど寝ている。 食料は足りそうだ。 8月22日 ニージニー・ノブゴロド(旧ゴーリキ)観光
朝、ニージニー・ノブゴロド(旧ゴーリキ)に到着。 ホテルは川沿いの高台。 眺めがよい。 昼まで仮眠。 昼食を食べに街まで出る。 ニージニー・ノブゴロド(旧ゴーリキ)は、重工業の町だったと記憶している。 豊かな感じだ。
昼食後、散歩。 楽器屋を見つけ、トランペットを見るが、台湾製のジュピターのみ。 続いて楽譜屋に入る。 楽譜を3冊購入。 3冊で700円。 安い。 8月23日 ニージニー・ノブゴロド(旧ゴーリキ)・コンサート
昼食前にまた楽譜屋により、3冊追加で買った。 600円。
コンサート会場は、ホール。 渋さでは、ハンブルグ以来の屋内だ。 基礎練習をたくさんやったので、調子が戻ったと思ったが、途中で高い音が出なくなった。 まだ気流が戻っていない。 コンサート後、ホテルに帰って寝る。
最近は、ひとりでホテルにいることが多い。 半年近くツアーをしていると、もうツアーというより、住んでいるという感覚。 毎日、観光や飲み会はきつい。
8月24日 モスクワに移動
バスでモスクワに移動。 ドムに行き、久しぶりのネット。 締め切り間近の原稿などをメールする。 ネット環境のあるドムに残るかホテルに行くかを選択できたが、私はひとりになりたいので、ホテルを選択。 ホテルに入り、睡眠。 8月25日 モスクワ・コンサート昼前に起床し、町を散歩。ホテルは、アルバート通りのすぐ近く。 アルバート通りを散歩。 何回も来ているところなので、何も買わず、食事だけして、ホテルに戻る。 ホテルでウォームアップ。 コンサートに備える。 コンサート会場は、青山のような地域。 お洒落なブティックが並ぶ。 中庭の特設会場。 オールスタンディングで、盛り上がる。 コンサートの後、ホテルで仮眠。
8月26日 サルディニアへ移動朝、5時に出発。モスクワ空港へ。 飛行機は、ボロボロ。 機内食は、我々の前でオムレツが終わってしまい、甘いアップルクレープのみ。 しかもコーヒー、紅茶も出ない。 今までの中で、一番ひどい対応だった。 ローマ空港に到着。 ローマ中央駅まで移動し、電車でジェノバへ北上。 ジェノバからフェリーに乗る。 フェリーはデッキ。 廊下で寝る。
8月27日 サルディニアへ移動
朝焼けがきれいだ。
早朝に到着。
バスで南下。 南端のホテルへ。 ホテルは、リゾートホテル。 プールがあり、プライベートビーチまで歩いてすぐ。 さっそくビーチへ。
地中海だ。 今年は、アドレア海、黒海、地中海で海水浴。 豪華だ。 夕食までビーチで休憩。 夕食もとても豪華。 食べ過ぎる。 インズからあまり食べていなかったが、ここに来て飽食。
ピックアップバスでフェスティバル会場へ。 今日のコンサートは、アートアンサンブル・オブ・シカゴのメンバーのうち、トランペッターが若い人の編成のバンドとピアノとボーカルのDUO。 生でAACが見れるとは。 ボーカルもクラシカルなテクニックがあり、面白かった。 カリアリ在住のイギリス系のステファンと会話。 英語がしっかりしているので、とてもテンポよく会話ができた。 8月28日 サルディニア・オフ
片山夫妻が到着。 久しぶりだ。 今日は、終日オフ。 ほとんどビーチにいる。
海に入るが、裸足で入ったため、足の裏を怪我する。 そのため、あまり海に入れなくなった。 そこで、日光浴に変更。 こんがりときれいに焼けた。 夜は、コンサート会場へ。 サックスのブラックストンさんのセクステット。 アメフトのような演奏だった。 8月29日 サルディニア・コンサート
今日も昼間、ビーチへ。 夕方から会場へ。 夕食は、オーガナイザの店でピザなどを食べる。 コンサート終了後、ステファンなどと長話。 盛り上がる。 帰ると明け方。 明日は移動だ。 8月30日 ベルンへ移動
昼にチェックアウト。 午前中、ビーチへ。 波の音を収録。 バスで北上。 行きと逆のコース。 フェリーに乗る。
8月31日 ベルンへ移動朝、ジェノバに到着。バスでベルンへ。 夕方、ベルンへ到着。
ライヴハウスの寄宿所が宿。 物置に寝ているようだ。 テンションがあがり、朝まで飲む。 |
9月1日 ベルン・パレード
夕方まで睡眠。 ここにいるとよく眠れる。 夕方、町の中心街でパレード。 今回は、ホーンが少なく(トランペット1、アルトサックス2、テナーサックス1、バリトンサックス1、チューバ1)、疲れたが、サウンドはよかった。 終わって、宿に帰り、また寝る。 9月2日 ベルンオフ
今日は、1日オフ。 しかし、1日外に出ないで、ライヴハウスにいる。 ここはフリードリンク。 ビールも飲み放題だ。 食事もアベタさんがとても美味しい日本食を作ってくれる。 今日の夜はキーマカレーだ。 カシミールカレーのように辛かった。 9月3日 ベルン・コンサート
今日は、コンサート。 コンサートまで、寝る。 夕方から、サウンドチェック。 ハコの響きは、O-Eastのようだった。 PAの田中さんが音を作りこんでくれたので、本番はとてもやりやすかった。 おかげで、とてもいいライヴになった。 ただ、ちょっとロックよりだったが。 コンサートの後、朝まで飲む。 9月4日 ベルン観光
昼から、ベルンの町を散歩。 まず、川沿いに歩く。 町の名前の由来にもなっている熊を見る。
また、川沿いを歩き、坂を上り、高台に。
教会を見る。
このツアーで見たたくさんの教会を思い出した。 ジャズフェスをやっていたので見る。
9月5日 ブッパタールに移動今日は、メンバーのうち8人が移動。朝、チューリッヒまで、ウォルティ運転のワゴンで移動。 その後、電車に乗り、ケルンまで行く。 メンバーはケルンに滞在。 私は、ひとりブッパタールに電車で向かう。 エバーハルトさん夫妻と2ヶ月半ぶりの再会。 ピール豆のスープとチェコのピルスビールをご馳走になる。 渋さと別れて、エバーハルトさんの宅に来たのは、2ヶ月半前にレコーディングをした膨大な音源を、1枚のCDを作る作業をするためだ。 ジャケットやインデックスも作らなければならない。 エバーハルトさんは、10日からエキシビジョンがあるので、限られた時間で作業しなければならない。 明日から大変だ。 9月6日 ブッパタール・CD制作作業朝起きて、日本に帰る準備をする。いらない領収書などを整理。 荷物の重量を減らすためだ。 午後からCD制作に取り掛かる。 エバーハルトさんとは、スピーディに仕事が進み、8時には編集完了。 ジャケットデザインもほぼ決まった。 夜は、ひとりでパソコンを使い、作業した。 作業は深夜に及び、眠れなくなってしまった。 最近寝すぎだから、大丈夫だ。 9月7日 ブッパタール・CD制作作業昼に電話で起きる。昼食を食べて、デュッセルドルフ空港にフライトの変更に行く。 日にちの変更はできなかったが、空港をフランクフルトからデュッセルドルフに変更することができた。 モスクワ空港のトランジットが14時間だったが、これで2時間になる。 一安心だ。 ただ帰りは13日になってしまった。 12日までブッパタールにステイだ。 エバーハルトさん夫婦にお世話になる。 この間にCDジャケットデザインなどを完成させたいと思う。 9月8日 ブッパタール・コンサート今日は、渋さツアーのラスト・コンサート。皆気合が入っている。 午前中、CD制作をする。 午後、会場へ。 会場は、シアターだ。 キャパは700人ぐらい。 サウンドチェックをする。 ライトが強くて、すでに暑い。 今日は、蒸し風呂渋さだ。 案の定、本番は、さらに暑く、蒸し風呂になった。 コンサートが終わって、すぐにシャツを洗濯。 ケルシュビールを飲む。 今日は、ツアー中、一番疲れた。 演奏で疲れたというより、蒸し風呂で疲れたのだ。 しばらくバックステージから離れることができなかった。 エバーハルトさんの家に帰り、ガーデンでビールを飲む。 やっとクールダウンしてきた。 おかげで、すぐに寝ることができた。 9月9日 ケルン・渋さフェアウエル・パーティ今日も午前中、CD制作をする。夕方、ケルンのライン川沿いにあるフィリップの別荘に向かう。 今日は、そこで渋さツアーの打ち上げパーティがある。 アウトバーンの渋滞、一方通行で時間がかかる。 到着するとすでに半分のメンバーがいた。 チャーハンやパスタがあり、バーベキューの準備をしていた。
渋さのメンバーのほか、地元のミュージシャンやお世話になった人がたくさん来ていた。 ステファンもブリュッセルから駆けつけてくれた。 渋さのほとんどのメンバーが明日帰国するので、早めにパーティは終わった。 帰りはアウトバーンを滑走。 30分でブッパタールに到着した。 9月10日 エキシビジョン1日目
朝、9時に朝食を食べて、エキシビジョンの準備をした。 エキシビジョンは、カタリナのセラミックの作品の展示販売とそのほか2人のアーティストの作品が並んでいる。 食事の後、案内板の設置などエキシビジョンの準備をした。 たくさんの人が来る中、エバーハルトさんとCD制作をした。 1階で行われているエキシビジョンを見た後、たくさんの人が2階のスタジオを訪れ、CD制作を見ていた。 WDRの人など我々のプロモーションに重要な人も来ていたので、説明をしながら、制作を続けた。 夜にブッパタールでのCD制作は終わった。 後は、日本でマスターリングをすれば完成だ。 今日は、とても疲れた。 9月11日 エキシビジョン2日目昨日は、ウエットでモスキートが来たため、あまり眠れなかった。今日は、天気が悪い。 晴れていれば、散歩しようと思ったが、雨なので、やめた。 午前中、CDのディストリビュータ探しをした。 午後、少し、散歩をして、また部屋で作業をした。 夜、みんなで食事をした。 エバーハルトさんが料理を作ってくれた。 インプロビゼーション・クッキングと言っていた。 この言葉は、前にフィリップが言っていたのを思い出した。 ちょっとしょっぱかったので、水をもらって寝た。 9月12日 デュッセルドルフ空港から成田へ朝、エバーハルトさんに送ってもらい、デュッセルドルフ空港に。モスクワでトランジット。 2時間ほどだったので、お土産を買っていたら、あっという間だった。 成田行きに飛行機に乗る。
9月13日 帰国
昼に成田に着いた。 東京は、やはり暑かった。 もう2日遅く帰ってくれば、涼しくなったのに。 また東京での生活の始まりだ。 |
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